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「空気を読む」という意味は?

更新日:2020年3月15日


上司と部下の間では「バカだな!空気を読めよ!」という会話がよくある。

この「空気」というものは何だろうか?

今日、繰り返し起こる企業の不祥事、組織内でのパワハラ・セクハラ、過労死やブラック企業、ネット上での個人攻撃などは、すべてこの「空気」という得体のしれないモノの仕業だと思う。

「以心伝心」「言わぬが花」「沈黙は金なり」「あうんの呼吸」等、日本には、明確な言葉を交わすことなくとも相手とわかり合えるという「信仰」があるようだ。


言語も意味も不明瞭なのだが、相手には「伝わっている」と信じ切っている。

言葉を尽くさずとも何となくわかりあえる【暗黙知】があるという考え方だ。

こうした「行間を読む」という日本スタイルは海外の人にとってはなじみにくく、最近の若い人たちにもなじまないと思う。


日本語は特に同音異義語が多く、文脈の中で判断しなければならないケースも多い。

昭和の高度成長期の組織人は、言葉にしなくても通じてきたのかもしれないので、その昭和世代の上司は、言語化し、はっきりとしたメッセージで伝える力が弱い。


上司と部下の理想の距離は遠く、肩書が重要、組織は多層的で固定的、序列に沿ってコミュニケーションが行われる。

そして、合意を重んじるがために迅速性に欠け「見解の相違」が発生したときの正しい対処の仕方もわからないケースが散見される。


『見解の相違』は【空気を乱す】もので【ネガティブ】と考えられ【対立回避】したがる。

極度の『非言語志向』で【階層主義的】&【合意志向】&【対立回避型】のムラ社会においては、そのムラの【秩序】を保つために生み出されて機能してきた【同質性】を前提としたコミュニケーション形態になる。


この【秩序】を乱す言動を行うと【同質性】でなくなるので、その人間は【村八分】にされる。

【空気】=【そのコミュニティ内の前提】と考えることにするとわかりやすい。

誰が決めたかわからない【空気=ムラの前提】があって、この【空気】によって【忖度】が生まれ、ムラの結束が強まる。


ムラ人は、この【前提】に異論を唱えることはできないので口を閉ざす。


異論者が出たら、ムラ人からの【同調圧力】によって“いじめられ”潰される。

日本の大企業は、優秀な大学を優秀な成績で卒業された優秀な人々が集まったエリート社会のはずだ。


それなのに、TVでは「なんで?こんなエリートが?」「こんな人が政治家?」という素朴な疑問を感じるほどに、繰り返し起こる企業の不祥事、組織内でのパワハラ・セクハラ、過労死が頻繁にニュースになっている。

その理由は簡単で、『年功序列』『終身雇用』が当たり前で、その環境で育ってきた人々が、企業の上層部の村長となっているので、独特の【空気】から【忖度】が生まれる。

そして、この【空気】が間違った方向に行っても、異論が言えないので、不祥事に手を染めていく。


不都合な真実は【見ない・言わない・聞かない】という【空気=前提】が、そのムラ社会の『正論』になる。

また、会社のOBというのは、関係のない「社会」よりも、先輩後輩や友達などの関係がある「世間」を基本にしている人が多い。


この【世間=OB会】は「社会」と違って、過去の役職や「年上が偉い」という【空気=前提】があるムラ社会である。


なので、OBの人は、OB会は安心感があり、会を楽しみにしている。

日本の企業が【息苦しい】のは、この独特の【空気】が原因だ。

私は中途退職ではあったが、OB会入会案内がきた。

入会するのが当たり前なのだろう。


入会しない場合には『理由書』を提出しなければ入会を拒否できないのである。

私は「入会したくないから」と理由書に記載してOB会事務局に送った。



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