正しい事が、幸せとは限らない
絶対に勝てると自信満々で臨んだWTOでは、韓国の水産物禁輸が容認され、日本が逆転敗訴したということがあった。
『日本の主張が認められなかったことは遺憾。協議を通じ、措置の撤廃を求めていく』と農林水産大臣はコメントしていたが、後の祭りだ。
先日、IAEA総会で韓国側が「原発汚染水は国際問題」と問題提議した。
これに対して日本政府代表が反論した。
韓国側は【英語】でプレゼンし、日本側は下を向いて【日本語】で原稿を読み上げている。
日本側は、『国際社会に対して透明性をもって丁寧に説明してきている。』と主張し、言っていることは【正しい】【正論】なのだが、会場の反応はイマイチだ。

多くのケースで【訴えた側が正しくて、訴えられた側が悪い】という空気感もある。
討論しあっている当事者以外の人とって、それほど興味深い話でなければ、【プレゼンテーションの良し悪し】によって支持率が左右されることはよくあることだ。
日本の一流企業を代表する偉い方のスピーチでも、内容がなくて面白くないことはよくある。
話したという事実さえ残ればそれでいいと思っている人が多いのかもしれない。
そして、日本では肩書が立派であればみんなが話を聞いてくれると思っている。
しかし、海外に出たら肩書では、話を聞いてくれないはずがない。
米国の歴代大統領もスピーチのトレーニングをしている。
アメリカのニュース記事の文章は、12歳の人が理解できるように書かなくてはいけないとされている。
ホワイトハウスのホームページなども、小学校6年生が分かるようクリアに書かれている。
英語が流暢かどうかは、プレゼンのわかりやすさとは関係なくて、
テーマと結論が明確であること
誰にでもわかる言葉を選ぶこと
聞き手に対する気遣いがあること
話す内容の構造がはっきりしていること
などが重要なはず。
ビジネスシーンにおいて、『今日は、いい話を聞かせてもらった。ありがとう。でも御社とは取引しない。』というプレゼンテーションは失敗だ。
話を理解してもらって、次のアクション(購買行動等)に結び付かなければ“無意味”だ。
【正論】というものは、往々にしてすり合わせを拒むことが多い。
【正論】だからまさに正しくて非の打ち所がない。
妥協点も無いほどに研ぎ澄まされた【正論】は、時として実社会において害をなすことがある。
「気持ちはわかりますが、これはルールです。」
企業側にとっては【正論】なのだろうが、お客様にとっては、融通の効かない正しすぎる【正論】は邪魔でしか無い。
「ルールもわかるけど、ちょっとは寄り添ってくれよ」っていうのが顧客側の本音だろう。
日本人の特徴として【奥ゆかしさ】【黙して語らず】的な言動が美徳とされている傾向もあるのか?
『国際社会は矛盾がわかっている。だから今は様子を見よう!』
『国際社会は、どっちが【正しい】か?わかっているので、下手に動く必要ない!』
といった政府関係者のコメントを耳にする。
水面下で【ロビー活動】を積極的に行って、盤石な基盤が出来ているのならば問題ないかもしれないが、【正論】を発するだけのプレゼンテーションでは、参加者の心には響かないと思う。
そもそも、日本語で原稿を読み上げても、聞いてくれないでしょう。
IAEA総会【原発汚染水問題】での日本政府代表のプレゼンテーションは、【 下手すぎ 】。
プレゼンテーションのトレーニングを行った上で、本番に臨んだのだろうか?
WTOでの逆転敗訴の二の舞にならなければいいが、心配だ。