私が友人と大阪のオフィス街にある居酒屋で食事している時に、隣のテーブルにいた一流日本大企業(バッチで確認)で勤務しているビジネスパーソンの会話が聞こえてきた。
先輩A:「会議で、本音なんて言っちゃダメだよ。どうぜろくなことにならないから(笑)」
後輩A:「そうですよね。私は、会議中は、目を付けられるのが嫌なので極力発言しません(笑)」
先輩B:「今日の会議では【全会一致】で決まったが、この戦略は絶対にうまくいかないよ。」
後輩B:「課長まったく現実がわかっていないですよ。時代遅れですね。」
先輩A:「会議の終わりかけに先輩Cが『なぜ?この戦術なの?』って質問してバカだよな。」
後輩B:「先輩Cは空気読めないですね。この戦略に従う奴はいないよ。」
先輩B:「いつも先輩Cのせいで会議の時間が延びました。時間の無駄だね。さあ飲みなおしだ!」
よく考えてほしい。
【自分の意見を述べる】というビジネスの基本を放棄しているとしか思えない驚くべき会話だ。
会議とは、個性も考え方も違う多様なメンバーが意見を交わして、目的となるアウトプットを見つけるために行うものだ。出すべきアウトプットが明確でないのなら、それこそ時間の無駄で、会議は開かないほうがいい。
事前にアジェンダすら届かず、誰も事前資料も読み込めない状態で会議が始まることは多い。
会議主催者(部長・課長)自体が、会議の終わりまでにどんなアプトプットがでればいいのかもわかっていないので、何も決まらないまま会議は終了する。
会議に参加しているメンバーの誰も【どんなゴールを目指しているのか?】【今はプロジェクトのどのフェーズにいるのか?】はっきり認識していない。
また、会社で偉い人間ほど会議が多くなり、会議が多い人間ほど偉いという風潮さえ存在する。
会議の事務局になった社員は、偉い人をキーにしたスケジュール調整と会議室の確保に時間がとられる。しかも、ひとつの会議が1時間単位と長く、そんな会議が1日3つもあれば、本当の仕事は定時以降にやらざるを得なくなる。
挙句には「業務効率を上げるために会議室予約システムを導入しました」などとなる。
本当に業務効率を考えるなら、会議を減らすべきだ。
オンラインのメールやメッセンジャー、クラウドで必要な情報や資料はオンラインで事前に共有できるので、対面の会議はよほど重要な案件や必要性がなければ開催しなくていいはず。
また、人数分の資料をコピーし、ホチキスで止める作業も発生する会議書類の配布も不要で、実際の会議が始まると、読めばわかることを読み上げる時間も不要。
いかに無駄なことに労力を割いているのかが理解頂けると思う。
見方を変えると、こんなやり方がまかり通っているのは、大企業には、特別な無駄が許されているという証拠だ。
今の大企業の上層部は、ゴルフができて宴会で裸になれるかで出世できたバブル期の人間だろう。
平成に入っても、会社や社員が集まる場に長時間いるだけで出世ができるというような名残はあった。
いつものメンバーがいつもの店に集まって夜な夜な同じ話を繰り広げるなんて、ナンセンスの極みだ。
昭和・平成時代には常識だったとしても、令和の時代に必要のないものは、あげるときりがない。
ゴールがない「テーマ」だけの会議は無駄そのものだ。