若いのが作法を学ばないのは、手本になる大人がいないからだ


アフリカ コンゴ共和国の首都ブラザビルのスラム街を、ブランド物のスーツを身にまとい、優雅な足取りで歩いていく紳士達『SAPEUR(サプール)』と呼ばれる情熱的なファッショニスタがいる。

日常は他のコンゴ人同様に、普段着で仕事に励んで(平均月収は約300ドル)、家族を養い、慎ましい生活を送っている。何日も前から服を選び、クリーニングに出し、身なりを整え、週末になると、街並みとは対照的なカラフルな色の何千ドルもするブランドスーツやシャツにアクセサリーでお洒落して、街を闊歩する。サプールとはスタイルであり、サプールとは生き方であり、サプールの6か条は次の通り。

● 上質な服をエレガントに着こなす

● 色彩感覚を磨き、色のハーモニーを奏でる

● 武器は持たない。軍靴を履く代わりに平和のステップを刻む

● 気取って歩き人を魅了する

● 他人を認め、他人を尊重し、他人に敬意を払う

● 個性を大事に、誇り高く生きる

サプールは、子供たちにとって「自分も大きくなったらサプールになる!」という憧れの存在だ。

従って、子供たちも6か条を守らなければサプールにはなれない。

私の散歩コースに古いアーケード商店街がある。

夕飯の買い出し主婦と、会社員・学生の帰宅時間も重なる夕方は「自転車はおりて歩こう商店街」という横断幕が何の警告にもなっていない自転車暴走族集会に変貌する。

自転車の前と後ろに子どもを乗せてスマホ片手に運転してくる女性も珍しくない。

全速力(立ちこぎ)で突入してくる若い女性もいれば、超スローペースで友達とお喋りしながらママチャリ軍団もいる。

そこに走り回っている小学生とスケボーの若者もジョインするので、誰にも邪魔されずにこのアーケード街を通り抜けるは、至難の業である。

この街の小学校で「自転車の交通安全教室」を行ったとしても無駄だろう。

手本となる憧れの大人が存在していないからだ。

世界の北野武(ビートたけし)巨匠の名言がある。

若いのが作法を学ばないのは、手本になる大人がいないからだ。

少なくとも男にとっての作法は、ある種の憧れだったり、「あのときのあの人は格好良かったな」という記憶だ。

身近にそんな人がいたら、強制なんかされなくたって真似したくなる。

鮨の食い方にしても、酒の飲み方にしても、昔はそうやって格好いい大人の真似をして覚えたものだ。

そう考えると、年寄りが「いまの若いのは作法がなってない」と言うのは、天にツバするのと同じことかもしれない。

作法というのは、突き詰めて考えれば、他人への気遣いだ。

具体的な細かい作法をいくら知っていても、本当の意味で、他人を気遣う気持ちがなければ、何の意味もない。

その反対に、作法なんかよく知らなくても、ちゃんと人を気遣うことができれば、大きく作法を外すことはない。

駄目な奴は、この気遣いがまったくできていない。

人の気持ちを考えて行動するという発想を、最初から持っていないのだ。

貧しい環境を変えることはできなくても、夢を持ち自分の美学を貫き通す情熱的なハートを持ったサプールに、私は憧れる。

コンゴと日本、どちらが「心豊かな国」だろうか?


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